碓氷峠鉄道文化村 [鉄道]
「碓氷峠鉄道文化村」は長野新幹線開通時の平成9年に信越本線横川-軽井沢間が廃止され、同時に横川駅構内にあった横川機関区も廃止されその機関区の跡地を利用して作られた鉄道のテーマパークである。
構内は驚く程広く、迷ってしまいそうである。
迎えてくれるのは189系特急「あさま」。碓氷峠越えのためにEF63と強調できるように183系から改造された形式である。
上野-長野間を3時間弱で結んでいた。
189系の運転席は意外なほど高かった。先には保存されているアプト式線路も見える。
運転機器なども複雑そうで、
こういうのを操作しながら高い運転席から正確に発進、停止するのはなかなか難しく「勘」に頼る部分が多かったらしい。名人芸だったんだなー
若い案内人の方は「こういう車両の整備はすべて国鉄・JRのOBの方がされています。お話を伺うと鉄道に対する愛情がすごくて、大宮の鉄道博物館でもそうですが頭が下がる思いです。私たちもこの鉄道の歴史を理解し、次に伝えていくために頑張って行きたいと思います」と熱く語っておられた。若くてもその思いがとてもしっかりしている人もいることに話を聞きながら少しジーンとしてしまった。
さて、倉庫の中には信越本線の力持ちEF63 10
EF62 54
運転台の複雑な機器
まつての横川駅の時刻表
昔信越線が特急銀座だったことが偲ばれる。
アプト式の電気機関車ED42 1
車体の下のこの歯車とラックレールがかみ合って難所の碓氷峠を越えていった。
広い園内にはこのほかにも多くの車両が保存されている。
EF59 1
昔はよく見たナハフ11 1
懐かしい直角いす
今となってはこの灰皿も懐かしい。テーブルの下のセンヌキが泣かせる。
かつて急行「桜島・高千穂」などはこの形式を含む座席車だけで東京・西鹿児島間を鹿児島本線経由、日豊本線経由で24時間以上かかって運転していたのだから今から考えたら想像を絶することである。
オハネ12 29の3等寝台
上段・中段の狭さに驚く。
洗面所
昔は乗客の方が多かったので洗面所も3つもあったんだなー
キハ20 467
EF65 520
EF58 172
国鉄型の電気機関車といえば私の中での一番はこれ。武骨ではあるが愛嬌のある前面が好きだった。
ブルートレインから普通客車から貨物まで牽引した一大勢力だった。
この172号機は日光線でお召し列車まで牽引したという名機である。
EF30 20
関門海峡専用電気機関車で海水による腐食を防ぐためにステンレス製になっている。
D51 96
1115両も作られた蒸気機関車の雄。
さらに離れたところにもグレードアップあさまなどが保存されていたが、吹きさらしなのでかなり塗装にダメージが来ているのが心配だった。
鉄道模型コーナーもあった。
長編成のHOゲージが走るさまは鉄道博物館よりはスケールが小さいがやはり迫力がある。
有志が作った碓氷第3橋梁の模型もある。
そうこうしているうちに閉園の時間になり横川駅に向かった。
横川駅は側線も多く、機関車の付け替えのために全列車が長時間停車した貫禄のある駅だったが側線も廃止され、改札などはこじんまりとしてしまい、わずかにホームの長さだけがその当時を思い出させるものかもしれない。
駅前にはEF63 3の動輪が展示されてあった。
駅前には峠の釜めし「おぎのや」の本店。
ひっそりと佇んでいた。
構内は驚く程広く、迷ってしまいそうである。
迎えてくれるのは189系特急「あさま」。碓氷峠越えのためにEF63と強調できるように183系から改造された形式である。
上野-長野間を3時間弱で結んでいた。
189系の運転席は意外なほど高かった。先には保存されているアプト式線路も見える。
運転機器なども複雑そうで、
こういうのを操作しながら高い運転席から正確に発進、停止するのはなかなか難しく「勘」に頼る部分が多かったらしい。名人芸だったんだなー
若い案内人の方は「こういう車両の整備はすべて国鉄・JRのOBの方がされています。お話を伺うと鉄道に対する愛情がすごくて、大宮の鉄道博物館でもそうですが頭が下がる思いです。私たちもこの鉄道の歴史を理解し、次に伝えていくために頑張って行きたいと思います」と熱く語っておられた。若くてもその思いがとてもしっかりしている人もいることに話を聞きながら少しジーンとしてしまった。
さて、倉庫の中には信越本線の力持ちEF63 10
EF62 54
運転台の複雑な機器
まつての横川駅の時刻表
昔信越線が特急銀座だったことが偲ばれる。
アプト式の電気機関車ED42 1
車体の下のこの歯車とラックレールがかみ合って難所の碓氷峠を越えていった。
広い園内にはこのほかにも多くの車両が保存されている。
EF59 1
昔はよく見たナハフ11 1
懐かしい直角いす
今となってはこの灰皿も懐かしい。テーブルの下のセンヌキが泣かせる。
かつて急行「桜島・高千穂」などはこの形式を含む座席車だけで東京・西鹿児島間を鹿児島本線経由、日豊本線経由で24時間以上かかって運転していたのだから今から考えたら想像を絶することである。
オハネ12 29の3等寝台
上段・中段の狭さに驚く。
洗面所
昔は乗客の方が多かったので洗面所も3つもあったんだなー
キハ20 467
EF65 520
EF58 172
国鉄型の電気機関車といえば私の中での一番はこれ。武骨ではあるが愛嬌のある前面が好きだった。
ブルートレインから普通客車から貨物まで牽引した一大勢力だった。
この172号機は日光線でお召し列車まで牽引したという名機である。
EF30 20
関門海峡専用電気機関車で海水による腐食を防ぐためにステンレス製になっている。
D51 96
1115両も作られた蒸気機関車の雄。
さらに離れたところにもグレードアップあさまなどが保存されていたが、吹きさらしなのでかなり塗装にダメージが来ているのが心配だった。
鉄道模型コーナーもあった。
長編成のHOゲージが走るさまは鉄道博物館よりはスケールが小さいがやはり迫力がある。
有志が作った碓氷第3橋梁の模型もある。
そうこうしているうちに閉園の時間になり横川駅に向かった。
横川駅は側線も多く、機関車の付け替えのために全列車が長時間停車した貫禄のある駅だったが側線も廃止され、改札などはこじんまりとしてしまい、わずかにホームの長さだけがその当時を思い出させるものかもしれない。
駅前にはEF63 3の動輪が展示されてあった。
駅前には峠の釜めし「おぎのや」の本店。
ひっそりと佇んでいた。
行った事が無かったのですが、なかなかいい車輛が保存されているんですね。
屋外展示の車輌がたくさんありますが、風雨にさらされてるのが心配です。
鉄博のように屋内に収容できると良いのでしょうが・・・
by ICKW1967 (2011-12-23 01:46)
アップしている車輌以外にもいろいろありました。
仰るように結構塗装が剥げた車輌もあり痛々しかったです。せめて屋根ぐらいつけてくれるといいのですが・・・
by のむ (2011-12-23 09:34)