碓氷第3橋梁 [鉄道]
峠の釜めしを食べた後は、碓氷峠越えに使用された「碓氷第3橋梁(通称めがね橋)」を見学に。
碓氷峠は1000分の66.7mの国鉄最急勾配を持った難所だった。
その急勾配を通過するのに機関車が滑らないようにアプト式線路を備えていた。
アプト式とは機関車の歯車と線路の真ん中に置かれた歯のついたレールが噛みあって進んでいく列車の走行形式のことと大まかに理解している。
ただこのめがね橋ではそういう薀蓄よりもその橋梁の壮大さに感動してしまう。
奥には平成9年まで使用された碓氷新線も見える。
英国人と日本人の設計によって明治26年(1893年)に2年間で完成したこの橋梁は長さ91m、川底からの高さ31mのレンガ造りで使用したレンガは実に200万個以上に及ぶらしい。
下から見上げてもものすごい迫力で嘆息してしまう。
案内板。
1993年には「碓氷峠鉄道施設」として他の橋梁とともに重要文化財に指定され2007年にユネスコ世界遺産暫定リスト入りしたとのことである。
国道からは階段がありこのめがね橋へ上ることが可能になっている。
めがね橋の軽井沢寄りの第6トンネル。ここは閉鎖されており、横川駅からこのめがね橋までの「アプトの道」ハイキングコースの終点になっている。
めがね橋の上はこのように歩けるようになっている。
眺めが素晴らしい。紅葉のときは推して知るべしだろう。
めがね橋から横川寄りの第5トンネル。
灯りがあり歩くのには支障はない。ここから横川駅までは約3km。途中に「峠の湯」という日帰り入浴施設もありウォーキングには最適。
それにしても碓氷峠の最大の目玉であるこの「碓氷第3橋梁」その迫力と約2年でこの巨大な構造物を作り上げた先人の知恵にはただ恐れ入るしかない。
碓氷峠は1000分の66.7mの国鉄最急勾配を持った難所だった。
その急勾配を通過するのに機関車が滑らないようにアプト式線路を備えていた。
アプト式とは機関車の歯車と線路の真ん中に置かれた歯のついたレールが噛みあって進んでいく列車の走行形式のことと大まかに理解している。
ただこのめがね橋ではそういう薀蓄よりもその橋梁の壮大さに感動してしまう。
奥には平成9年まで使用された碓氷新線も見える。
英国人と日本人の設計によって明治26年(1893年)に2年間で完成したこの橋梁は長さ91m、川底からの高さ31mのレンガ造りで使用したレンガは実に200万個以上に及ぶらしい。
下から見上げてもものすごい迫力で嘆息してしまう。
案内板。
1993年には「碓氷峠鉄道施設」として他の橋梁とともに重要文化財に指定され2007年にユネスコ世界遺産暫定リスト入りしたとのことである。
国道からは階段がありこのめがね橋へ上ることが可能になっている。
めがね橋の軽井沢寄りの第6トンネル。ここは閉鎖されており、横川駅からこのめがね橋までの「アプトの道」ハイキングコースの終点になっている。
めがね橋の上はこのように歩けるようになっている。
眺めが素晴らしい。紅葉のときは推して知るべしだろう。
めがね橋から横川寄りの第5トンネル。
灯りがあり歩くのには支障はない。ここから横川駅までは約3km。途中に「峠の湯」という日帰り入浴施設もありウォーキングには最適。
それにしても碓氷峠の最大の目玉であるこの「碓氷第3橋梁」その迫力と約2年でこの巨大な構造物を作り上げた先人の知恵にはただ恐れ入るしかない。
鉄道博物館 [鉄道]
鉄道博物館ではまず「模型鉄道ジオラマ」へ。
HOゲージのジオラマでは国内最大で1.400mあるとのこと。
もちろん全ての編成がフル編成で高架も張り巡らされて迫力満点。
メインのヒストリーゾーンでは鉄道の歴史の移り変わりがわかるように車輌35両と模型などを展示。
ゆっくり見たいが、何せ浅草で飲んできたものだから半酔っ払い状態。
適当に目についた車両に近づいてみる。
これはクハ181系特急電車で151系、161系のモーターや駆動装置を改良、変更したもので中央本線「あずさ」信越本線「あさま」「そよかぜ」山陽本線「しおじ」「はと」、上越線「とき」などで使用されていて、その当時一世を風靡した代表的な特急だった。
ときが展示されているところは新潟駅がイメージされている。
これはC57 135号機。
1975年12月14日に室蘭-岩見沢間で最後の定期旅客列車を牽引した形式である。
これは転写台で回転しているところ。
何せ鉄道博物館は酔っ払ってくるところではない。一杯見るべきものがあるのに勿体無いことである。
さて、最後に「レストラン日本食堂」へ。
食堂車=日本食堂の時代に残念ながら利用したことがなかった。
メニューも当時提供していたものを取り揃えているとのこと。
お腹もすいたし、私は「カツカレー」を。さっきもトンカツを食べてんのに!
連れは食堂車賄い食「ハチクマライス」を。
そんなこんなで連れと別れてフラフラと上越新幹線に乗って高崎へ向かったのであった。
HOゲージのジオラマでは国内最大で1.400mあるとのこと。
もちろん全ての編成がフル編成で高架も張り巡らされて迫力満点。
メインのヒストリーゾーンでは鉄道の歴史の移り変わりがわかるように車輌35両と模型などを展示。
ゆっくり見たいが、何せ浅草で飲んできたものだから半酔っ払い状態。
適当に目についた車両に近づいてみる。
これはクハ181系特急電車で151系、161系のモーターや駆動装置を改良、変更したもので中央本線「あずさ」信越本線「あさま」「そよかぜ」山陽本線「しおじ」「はと」、上越線「とき」などで使用されていて、その当時一世を風靡した代表的な特急だった。
ときが展示されているところは新潟駅がイメージされている。
これはC57 135号機。
1975年12月14日に室蘭-岩見沢間で最後の定期旅客列車を牽引した形式である。
これは転写台で回転しているところ。
何せ鉄道博物館は酔っ払ってくるところではない。一杯見るべきものがあるのに勿体無いことである。
さて、最後に「レストラン日本食堂」へ。
食堂車=日本食堂の時代に残念ながら利用したことがなかった。
メニューも当時提供していたものを取り揃えているとのこと。
お腹もすいたし、私は「カツカレー」を。さっきもトンカツを食べてんのに!
連れは食堂車賄い食「ハチクマライス」を。
そんなこんなで連れと別れてフラフラと上越新幹線に乗って高崎へ向かったのであった。
スカイツリーを見て鉄道博物館へ [鉄道]
盛岡を過ぎて [鉄道]
ポテサラ、ニッカウヰスキーのロック、勢いで買った車内限定品など [鉄道]
ウェルカムドリンク、お供は「ポッチャマくん」 [鉄道]
この小さな部屋で上野までの16時間余り過ごすことになるんだなぁ!
と感慨深く座っているとノックの音がしてウェルカムドリンクを頂く。
ウィスキーやら北海道ワインなど酒飲みには嬉しい心遣い!
今回の私のお供はちょっと「威張りんぼ」なポッチャマくん。
長い旅になるよ、仲良くしてくれ給え。
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と感慨深く座っているとノックの音がしてウェルカムドリンクを頂く。
ウィスキーやら北海道ワインなど酒飲みには嬉しい心遣い!
今回の私のお供はちょっと「威張りんぼ」なポッチャマくん。
長い旅になるよ、仲良くしてくれ給え。